そろそろB'zの例の話題について便乗しよう

みのミュージックがB'zの「パクリ(あくまでも鈎括弧付き)」問題について自論を述べている動画を見て「おっ」となった。音楽系インフルエンサーの中でもとりわけ影響力が大きいみの氏がどのような解釈を持っているかは、単純に長年のB'zファンとして興味がある。

掻い摘んで書くと
「ロックには引用の文化があり、B'z程度の『パクリ』であれば皆やっている。にも拘らずB'zばかり目立って叩かれるのは、自分らのルーツ(HR/HM)と足場としているジャンル(J-POP)の相違が一因ではないか」
要は、ロックの数多ある引用の歴史をある程度知識として備えているコアなロックファン……ではなくライトなポップスリスナーがB'zにとってはメインの客層だから、いざ「パクリ」に邂逅した時のショックも強く、それが必要以上のバッシングに繋がっているのではないか――という話。個人的には遠からずだと思っているし、それこそ大分前に音楽ライターの夏至明氏がどこかに書いていた「メインリスナーとの『共犯関係』を築けていない」という文脈にそっくりそのまま当てはまる。
ただファン目線から言わせてもらうと、引用の文脈を熟知しているはずのロックファンからのB'zに対するバッシングは中々酷いものがあった。それこそ一昔前なら「B'zを聴いている=本当のロックを知らない」で問題外、嘲笑の対象とすら見なされるケースはネットどころか有力なロックメディア内(よく言われるロキノンよりもその分派……スヌーザーとかの方が酷かった)でも少なくはなかったから、それを思い返しつつみの氏の自説を聞くと、どうも納得し切れない部分がある。いや、そいつらもそいつらでまったく理解するポーズは見せてくれなかったぞ、と。

パクリどうこうからやや逸れて、「ロック通B'zを侮蔑しがち問題」について考えてみる。
B'zは不思議なバンドで、プロモーションやファン層、業界的な立ち位置は完全にJ-POP≒大量消費主義音楽そのものなのだが、音楽性は紆余曲折こそあってもおおよそ人気とは言えないオールドスクールHR/HMの範疇にある。思うのは、この乖離こそ長年B'zがロックファンや一定のメディアから総スカンを喰らってきた一因として考えられないか。
乖離の要因は色々ある。例えば、出自やセールスの視点でB'zを見てみると、所属事務所である旧ビーイングの主導によるTM NETWORKの二番煎じ感ありありのデビュー当時の売り出し方だったり、出す曲出す曲にタイアップを付けたり、短期間内にベスト盤を乱発したり、CDにタイプ別のオマケを付けて何種も買わせたり……と、とにかくアコギと言うか、節操が無い。もとい美学としての「ロック的」でない(もっともこれはB'zと言うよりは旧ビーイング全体の事業戦略の問題でもある)。一方でB'zの二人は元来自分らが作る音楽以外の多くを気に留める人達ではないから、一旦売れて楽になってしまえば、プロモーションがどうのはさておき基本的には自分らのルーツありきの作品を作る。すると「大量消費主義音楽の皮を被ったHR/HM」という、あまり聞いたことがないキメラのようなバンドが誕生する。二人がどう思っているかは知らないが、この中途半端な立ち位置や違和感でB'zが損をしてきた部分はそれなりにあったんじゃないかと思っている。

だから当時のロックファンとしては、ロックの文脈に立たないバンドのくせに我々が敬愛するHR/HMを掠め取って、何も知らない奴らを騙くらかしやがって――というある意味で疑似被害者的な意識があったのだろうと考え得る。
その理屈で言えば――たらればだが、仮にB'zの二人がビーイングの外で出逢い、且つHR/HMの専門レーベル辺りからカタログを出していれば、作った曲や「パクリ」の量が変わらないとしてもまったく評価は異なっていたんだろう。勿論今よりもよほどネガティブな扱いはされなかったはずだ。その代わり今日まで続く莫大な成功を手にすることは無かっただろうし、何せ日本のHR/HM市場なんてタカが知れているから、むしろ何枚かアルバムを出した限りで終わっていたかもしれない。どちらがB'zというバンドにとって良かったのかは、本当に何とも言えないところではある。
どう着地すればいいのか自分でも分からなくなったのだが、とにかくB'zは特異なバンドで、例えばはっぴいえんどから始まる日本のロックの史観、系譜のどこにも当てはめることが難しい。同ジャンルとしてつるめる仲間がいないのだ。その為か長いこと日本ロック村から村八分を喰らい続けてきたのだが、最近になってROCK IN JAPANのトリに出演したり、BURRN!の表紙を飾ったりとようやく風向きが変わったような雰囲気がある。僕から言わせてもらえば「遅えよ」でしかないのだが、それはそれとしてB'zが持ち続けてきた何とも交わらない孤高感も徐々に薄れつつある寂しさを僅かに思う。まあ、どちらに転ぶとしても成り行きを見ておきたい。

話がメチャクチャに逸れてしまった。「パクリ」の話です。
ここまで書いておいて「いや、B'zがやってることは盗作でしょ」なんて書くワケなく、僕個人の見解も概ねみの氏に準ずる。あの悪名高い「BAD COMMUNICATION」にしたって元はと言えば「Trampled Under Foot」じゃなくて「Long Train Runnin'」から来てんじゃないの? という話もあったりして、言い出したら本当にキリが無い。

とは言え、僕の中での線引きはある。引用元の曲と丸被りせず、且つ引用分以外のオリジナルの箇所に魅力を見出せる曲に仕上がっていれば、リスナーとして聴く分には特に問題視はしていない。
部分的に「パクリ」を認めたとしても、聴きどころがそこでない以上BAD COMMUNICATIONとTrampled Under Footには互換性が無いし、「ALONE」を聴く代わりに「Time For Change」を聴くなんてことも勿論ない。大体Time For ChangeよりもALONEのがよほど大作バラードとして完成されている……とか言ったら怒られそうだから言いません。

そのくだりで言ったら「憂いのGYPSY」は僕の中では完全にアウトである。イントロからAメロまでキーもテンポもアレンジも殆ど同じとなると、「What It Takes」の劣化コピーと言われても否定できない。サビもWhat It Takesの方がいいし。
それこそこんな曲聴くなら本家を聴いた方がいい。できれば収録元のPUMPごと聴きましょう、名盤だから。

B'zを聴くにあたって「パクリ問題」は避けて通れない関門である。折り合いの付け方もリスナーの数だけあるだろうし、別に「誰でもやってるんだからこれくらい許してやれよ」なんてことを言いたいわけではない。念の為。
ただ折り合いを付けた上で、二人のルーツを知った上で、本邦のロックの中の独特な立ち位置を知った上で聴くB'zは非常に面白いということだけはここにまとめておきたい。聴けば聴くほど変なバンドなので。おすすめのアルバムは「SURVIVE」です。